どれも全部自分

小学校中学年の時、出席を取るのに名前を順番に呼ばれるのをいつもすごいドキドキして待ってた。算数の答え合わせの時も、今日は先生がどんな順番で当てていくかを探って、自分は何問目を黒板に書きにいくのか先回りして確認してた。何度確認してもドキドキしてた。

 

なのに心の中には、目立ったり注目されたりしたいと願ってるもう一人の自分がいた。そのもう一人の自分がクラスでもたまに顔を出してしまうことがあった。

 

ある日のホームルームで、何人かのグループが昼休みにレクをしようと提案してきた。

先生が仕切る中で、いつも誰も何も発言せずに結局は賛成の人が手を挙げる多数決で決められてた。今振り返っても理由は分からないけど、当時の私はここで発言しようと思ったらしい。手を挙げるとかはいつも右手だった。机の上に真っ直ぐに置いてある右手を、踏切にある黄色の遮断機のように綺麗なアーチを描きながら、ゆっくり挙げたのだと思う。

 

私は、昼休みにレクをやることに賛成です。クラスの仲も良くなると思うからです。

 

そんなこと別に本気で考えたこともないのに、緊張でガチガチに震えた声で、それでも精一杯声を出してみんなに聞こえるように言ってみた。

 

誰も発言する必要なんてなかった。そんなの言わなくたってほとんど、いやクラスの全員が賛成に手を挙げただろう。賛成する気も反対する気もなく、きっとみんな賛成に手を挙げたはずだ。

 

流れるようになんとなく生きていくのは楽だろうけど、そうしていたい自分と、そうならないためにがむしゃらになってる自分がいる。今でも。