朝に

昨日は、結局今楽しいことをして、今楽しそうなことをすればいいじゃんって思った。そうして寝たんだ。

 

朝目が覚めてカーテンの隙間から差し込む強い光を見た時、ああ今日も今日が来たんだな、と失望したんだ。

 

楽しみなことは、こうなってからも結構あった。だけど私は、その一つ一つを、ただひたすらにこなすんだ。楽しむんじゃなくて。

 

だから楽しいことも今日ある行事も、心がないままなんだ。

 

何処に行こうとしてるんだろう。急いで急いで、その先に待ってるのは死ぬことだけなのに。

 

楽しいことの間にも、その先のことを考えて焦る。何もする必要がないんだから、今はただ楽しめばいい。

 

 

 

夜に

こんなんで生きてていいのかとよく思う。

 

存在してないも同然の生き方。

 

何もない。何もしてない。そんなんでいいわけがない。何不自由ない生活それってもう最高でしかない。でもそうゆう環境にいるからこそ、生きることに意味を求めようとしてしまう。

 

好きなことがわからない。趣味がない。やる気も出ない何も頑張れないまま、いっしょうこうやってなやむのかなあか。やってることに心がない。意欲がない。当たらない。ハマらない。

 

人といるのが好きなのは、そうゆうことを考えずにいられるからなのかなあ。百円の恋がしたい。キューティーブロンドになりたい。

 

本気で何か頑張ることとか心から夢中になることとか、もうないのかなあ。本当にやりたいと思うこと、それを達成すること以外に何も考えられないくらいの自信が欲しい。何かを手に入れたい。けどその肝心の何かが分からないままもう一年半くらい経つのかなあ。

 

モアナは海の向こうに憧れていたけど、想像していたものに出会えたのかなあ。たとえそれが違っていても、なぜかワクワクする好奇心が羨ましい。

 

今までこんな事考えたことあったっけ。何がしたいか分からなくても、目の前にある楽しいことを楽しんでたら、いつのまにか突然に大きな目標が現れてた。そうゆう生き方だったのに。

 

本当は、原因が何かは分かってるんだ。それを手放せば自分の欲しかったものがだんだんわかってくることもわかってる。けど手放したくないのも事実なんだ。それだからものすごく苦しいんだ。

 

何かを見つけようとしなくてもいい。普通に目の前にある楽しそうなことを楽しめばいい。

 

そうやって、明日も同じことを考えるんだろう。

 

 

心の持ちよう

平凡な生活を送る、私はそんなことにはならないと思ってた、大学2年までは本気で。最近も心の中では本当は、まだ思ってる。

 

そんなこと言うと、平凡に生きるのがどれだけ大変か、って言う話題になるでしょう?

 

でもとりあえず、そっちは置いといて欲しいんだ。

 

 

 

まずは、みんなとおんなじスーツを着て外見量産型大学生になりましょう。

バイトしたお金で散々飲み会オールをして落とすか取れるかギリギリの講義に祈りを込めるそんな大学生活の中から自分が頑張ったことそしてその成果のお話を作り上げましょう。

就活をしてなんとか内定をもらえた自分はここに行きたかったのか分からないような企業に縁があったと納得したような発言をしながら入社を待ちましょう。

上の人に気に入られようと自分の個性なんか殺してしまいましょう。

家に帰って散々文句をぶちまけましょう。

終わるまで繰り返しましょう。

 

そんなことに、私は絶対にならないんだ。自分が本当にしたいことを仕事にして毎日キラキラ生きるんだ。そのために頑張るんだから。

 

 

ちょっと疲れて一息ついた時に、

 

結局幸せなんてそんなの心の持ちようだってことを、やっと気付きましたとさ。

 

 

自己満、じゃない目標

何かしたくて、その理由が自分ができたら楽しいから嬉しいから、とかそうゆうのだけじゃない。

 

もっとこれが達成されたら相手に勝つとか優勝するとか称えられるとかそうゆう、勝負ごとがきっと好きな女。

 

目標はいつもそうだった。自分の中で作った目標、自分がそれを達成して自分だけが嬉しい目標なんてそんなものはなかった。

 

卒業控えた大学四年生が、見つけるのが難しい一番のもの。

自由の怖さ

 

 

今なんかね、戸惑ってる。

 

最近就活が終わって、残単もなくて、バイトそこそこやってお金にもそんな困ってなくて、すぐに会える友達がいて、恋人がいて、家に帰れば家族がいて。何不自由ない十分すぎるほどの人生を送ってる。そうゆう環境にものすごく戸惑ってる。

 

 やらなきゃいけないことも、目標も、話すネタも、ない。いやダイエットしなきゃなんだけど、やったるぞ!っていう気もない。

 

何も足りなくないのに、十分幸せなはずなのに、何かが足りない気がする。

 

子供の頃に戻りたいなあと思うことが増えた。小学校から多分大学一年生までは、やるべきことが決められてた。自分で頑張ることを見つけなくても、課されたことをこなしていけば、普通よりちょっと上を目指して頑張れば、いろんな人から褒められた。そうゆうこなすべき義務があったからこそ、好きなことがより一層楽しかった。これやって何になるんだろう?なんて頭で考えずに、心の赴くままに楽しそうなことをやってみて、楽しいことをただひたすら楽しんでいられた。

 

大学二年生の時、アメリカ留学という夢が叶った。と同時に、それまでに描いていた将来への理想がなくなった。帰国して、将来のためを考えて行動することが一段と増えた。「大人になった」とか「現実的になった」とか、簡単に言えばそんな感じのことだと思う。

 

誰だって小さい時は、大きな夢を見ていたはずだし、面白そうだからとなんでも挑戦してきたはず。でもいつの間にか、こんなはずじゃなかった、とすら思わずにこんなはずじゃなかった人生を送ってる。きっと私もそうなんだろう。

 

でも人生でおそらく一番自由な今を生きる中で、そうゆう現実がゆっくり近づいているのにまだ本当は受け入れられずにいることに、気が着いてしまった。

 

 

半端な生き方

社会に適合もできずに、かといってやりたいこともない。それってとんでもなく苦しいことなんだということを、最近はそんなことを考えてながら、普通に生きてる。

 

昨日、内定式前に集まろうって同期との顔合わせをしたんだけど、みんな今、入社を半年前にしている状態で。何してるのー?って、みんなフリーターみたいな生活かなあ笑って。あとは旅行行きまくって金がないとか、授業が少し残ってるとか。まあだいたいみんなそんな生活。

 

耐えられない、そうゆう環境に。たらったらそうやって、ただバイトしてそのお金で友達と遊んで旅行して。ただただ卒業して入社するのを待つみたいな。

 

学生なんだからさ、いくら卒業が決まってても授業とって勉強したらいいじゃない、お金も50万も出してんだからってお母さんが。ごもっともだよなあ。そうなんだよなあ。学生なんだよ。それはわかってる。

 

親が払う学費50万を子供がバイトして取り戻すなんて馬鹿みたいだよ。

 

でも悪いけど、私がしたいのはそれじゃない。もっと達成することでとてつもない充実感が味わえるような、そんなやつ。

 

エネルギーと向上心は有り余ってるのに、それを注ぐものがない。

 

いっぱい考えた。過去のワクワクしたことから導こうともした。でも私がそうやってワクワクしたものって、みんなに結果的にすごいと褒めてもらえるような成果が出せるものなんだ。

 

だから今分かんないよ。みんなが言うすごいが、みんな違うんだもん。

 

困るよー。何したらいいんだよー。

 

 

どれも全部自分

小学校中学年の時、出席を取るのに名前を順番に呼ばれるのをいつもすごいドキドキして待ってた。算数の答え合わせの時も、今日は先生がどんな順番で当てていくかを探って、自分は何問目を黒板に書きにいくのか先回りして確認してた。何度確認してもドキドキしてた。

 

なのに心の中には、目立ったり注目されたりしたいと願ってるもう一人の自分がいた。そのもう一人の自分がクラスでもたまに顔を出してしまうことがあった。

 

ある日のホームルームで、何人かのグループが昼休みにレクをしようと提案してきた。

先生が仕切る中で、いつも誰も何も発言せずに結局は賛成の人が手を挙げる多数決で決められてた。今振り返っても理由は分からないけど、当時の私はここで発言しようと思ったらしい。手を挙げるとかはいつも右手だった。机の上に真っ直ぐに置いてある右手を、踏切にある黄色の遮断機のように綺麗なアーチを描きながら、ゆっくり挙げたのだと思う。

 

私は、昼休みにレクをやることに賛成です。クラスの仲も良くなると思うからです。

 

そんなこと別に本気で考えたこともないのに、緊張でガチガチに震えた声で、それでも精一杯声を出してみんなに聞こえるように言ってみた。

 

誰も発言する必要なんてなかった。そんなの言わなくたってほとんど、いやクラスの全員が賛成に手を挙げただろう。賛成する気も反対する気もなく、きっとみんな賛成に手を挙げたはずだ。

 

流れるようになんとなく生きていくのは楽だろうけど、そうしていたい自分と、そうならないためにがむしゃらになってる自分がいる。今でも。